姉妹校はじまり物語

最初に蒔かれた小さな種には、大きな希望が託されていました。
姉妹校それぞれの、知ってるようで知らない創立の頃の物語を紹介します。

(当時の会長名を記載しています)

聖心女子大学

宮代会会長 藏原 由季子(小み53・宮35)

初代学長マザー・ブリットの精神を心に

イエスの聖心の愛を、教育を通して全世界に伝え、混乱する社会を変えていきたいという創立者、聖マグダレナ・ソフィア・バラのお志の芽は、日本においては、1916年(大正5年)発芽し、1948年(昭和23年)新制大学として、渋谷の地に発足した聖心女子大学となって枝葉を広げていった。

大学発足にあたり、当時の候補地として少なくとも、①三田の三井倶楽部、②麻布の三井本家邸宅跡、③李王家御殿(現在の東京ガーデンテラス紀尾井町)、④芝の伊達家邸宅、⑤中島飛行機工場跡(現ⅠCU)、⑥元久邇宮御殿の6か所があったと言われている。このうち①は建物は立派であるが用地が狭いのであきらめ、②は高台に名石が散在する見事な敷地だったが戦災で建物がないことから、本契約の直前に断念せざるを得なかったという。最後に残った候補地が現在本学の所在する⑥であった。同地は江戸時代の下総佐倉藩堀田家の下屋敷跡であり、1917年に久邇宮家の本邸が建設された。戦後、土地は国が管理していたが建物は大映の所有となっており、時代劇映画のロケ、従業員宿舎などに使用されていた。同社の永田雅一社長は学院側の申し入れに対し即座に快諾され、1947年12月に購入契約が行われた。桜の並木に導かれて入る約24,000坪の広大な敷地は緑濃く、由緒ある御殿のまわりには蘭の温室や池が配され、風雅な趣であった。敷地はその後一九四八年から一九五四年にかけて順次購入し、1969年にはインターナショナルスクールとの間で校地分割区分を決めている。1966年に渋谷区が住居表示変更をする以前、大学の所在地は現在の「広尾四丁目三番一号」ではなく、「宮代町一番地」であり、この旧町名にちなみ「聖心女子大学同窓会」は1969年に「宮代会」に改称した。

大学開学式は1948年5月9日に挙行された。午後2時よりカマボコ型兵舎の講堂を会場に、高松宮妃殿下、三笠宮殿下、久邇朝融氏、李王妃、東伏見慈洽氏をはじめ、教皇使節パウロ・マレラ大司教、本学全理事、内外要人、教授団、学生、父兄、聖心関係者等約350名が列席した。シェルドン管区長、ブリット学長の挨拶の後、祝辞があり、学生の景山あき(宮1)が謝辞を述べた。日本初のカトリック女子大学の記念すべき門出であった。式後、聖堂で土井大司教司式のベネディクション(聖体降福式)およびクニハウスと庭園での茶菓接待があり、美しい春宵に新しい大学の誕生を心から喜びあった。

マザー・エリザベス・ブリットは戦後の瓦礫のなかから国際的にも開かれた新たな大学を誕生させ、卓抜した指導力と実行力をもって度重なる財政的苦難を乗り越え、5期にわたる校舎の建設、教育学科の新設、大学院の新設、初等教育学専攻の新設等々、本学の発展を力強く推進し、今日にいたる揺るぎない基礎を確立することに貢献した。そこには優れた経営的手腕、教育的情熱とともにキリストの愛に対する深い信仰があった。また、婚期の遅れを心配して大学進学を許さない風潮の残る時代にあえて進学した学生の意欲と向学心はたくましく、草創期の学生がパイオニア的な意気込みで道を開くと、多くの学生がこれに続き、マザー・ブリットの期待に応えた。

1号館(1950年竣工)、修道院(1951年竣工)の全景

1954年ごろの本館中庭の様子

聖心女子大学本館落成式。本館屋上

1951年聖心女子大学第1回卒業式

聖心女子大学第1回卒業生

参考資料:『聖心女子大学1916〜1948〜1998』(1998年発行)

写真:JASH資料委員会・聖心女子大学アーカイブズ所蔵