Grace and Grit 日本語訳「神の恩寵、不屈の気力―絵の語ること」

2018-03-26

神の恩寵、不屈の気力―絵の語ること

Grace and Grit

 

絵が大声を上げたり、ひそひそ話をすることなどあるでしょうか。この絵は、神の恩寵と不屈の気力について大声で語り、十字架について小声でささやくのです。

黒と白の色彩の際立つハビット、角張った醜くさえ思える顔は、フィリピンの性格を特徴づける厳格さを表しています。けれどそこには、優しさを物語る柔らかさも見ることができるのです。この絵の伝えようとする資質は、歯を食いしばる気力ではないかと私は考えます。フィリピンの列福調査では、ジャンセニスムの影響を暗示する激しい肉体的苦行のことが語られました。この絵の中の婦人は、自らの描いた使命の求める、気力と覚悟を存分に持っていますが、ジャンセニスムのマゾヒストたちのような自己中心主義者ではないようです。生涯を通してフィリピンは「しなければならない事」のためにはどのような犠牲も厭わない気力を持っていました。その「しなければならない事」こそが、フィリピンの特徴であった自制心の力を呼び起していたのです。この絵には、神秘的な一面があります。ボネットの、中と外を同時に見ているような異様にも思える頭の角度は、「中と外は同じで一つ」ということを言っているのでしょう。顔がどちらを向いているのかはっきりしませんが、世慣れていると同時に浮世離れした婦人という印象を受けます。彼女が「いつも祈っている婦人」と呼ばれていたことを想像するのは難しい事ではありません。

この絵には、十字架についての密かなメッセージが込められています。実際にはこの絵のハビットの胸に十字架は掛かっていません。本来十字架のあるべき所には、一枚の樫の葉がぶら下がっています。色も大きさも控えめなこの「十字架」が、私たちの注意を引くことはありません。それが作者の意図であったのかは分かりませんが、この事から多くを読みとることができます。十字架は一枚の樫の葉であり、デュシェーンという名はフランス語で「樫の」という意味であることは知られています。この絵は、フィリピンにとって ー そして私たちの多くにとっても同じではないかと思いますが ー 自分自身が十字架であったことを伝えています。フィリピンの胸の樫の葉はさりげなく平和に包まれており、十字架のあるべきところに一枚の葉が描かれているからと言って驚く人はいません。絵は私に小声でささやきます。自分の本質 ― その数多の欠点と、ともすれば人目を引く華々しさをも受け入れることによってフィリピンは、自らの存在の深部をキリストの聖心と十字架に変容させたのです。

文:ナンス・オニールRSCJ  インドネシア地区
画:ウィリアム・シッケル
訳:中山洋子

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