Healing Love 日本語訳「癒しの愛」

2017-12-11

Healing Love

サントゥ・マリー・ドンオー修道院へと続くシャルモンの登坂

 

癒しの愛

1804年の春ソフィ・バラは病に伏し、パリの医者たちは症状を和らげることはできても病を治癒するすべを知りませんでした。ところが1806年7月、フィリピン・デュシェーンを訪ねてグルノーブルで数週間過ごした時に転機が訪れました。この時ソフィは、フィリピンの看護により健康を取り戻したのです。回復はソフィがグルノーブルを後にしてから明らかになりましたが、ソフィはフィリピンの愛情に満ちた看護のお蔭によるものと確信していました。

1806年8月1日、ソフィはフィリピンに手紙で、二人の間の深まる友情をどれほど大切に思っているか、そして病も完全に癒えたと伝えました。

「あなたと別れた時の私の状態をご存知でしょう。それが、まだリヨンにいる間に全ての症状が消えたのです、しかも一夜のうちに。私はすっかり回復しました。」       

ソフィは1806年8月30日にフィリピンにこのように言って、病の完治を確認しました。 「主は私に対するあなたの看護を祝福されました。リヨン以来、一切の症状は現れていません。」

1818年以後フィリピンとソフィは、一人はヨーロッパで、一人はルイジアナで、離ればなれの人生を送りました。どれ程長く離れて暮らそうとも、心を交わす手紙のやりとりが困難に阻まれようとも、其々の経験が多様で苦難に満ちたものであろうとも、二人の間の癒しの愛の力は存続しました。その力、その愛は大西洋の波を越えて, 行きつ戻りつし、岸辺に辿り着くことができました。二人はそのことに信頼を寄せ、拠り所とし、最後まで変わることはありませんでした。       

作者/画像:フィル・キルロイRSCJ   アイルランド・スコットランド管区       
訳:中山洋子