“A Remarkable Woman …” 日本語訳「並外れた女性・・・」

2018-07-16

“A Remarkable Woman …”
日本語訳「並外れた女性・・・」

A Remarkable Woman …
 
2001年にセントチャールズを訪ねた折り、私は、街の中の一軒のギフトショップにぶらっと立ち寄りました。すると、一人の売り子が近づいて来て、「この街にはね、昔、並外れた一人の女性が住んでいてね、その人は、今、聖人の位に上げらているのですよ!」と、いとも誇らしげに教えてくれました。しかし、すぐに私が身につけていた聖心会会員のメダルに気づき、「あら!あなたはその方のことを良くご存じですよね。」と言ったのでした。
 
私は、少なくとも20回以上、朝礼でフィリピンのことを生徒たちと分かち合う機会を経験し、1988年には、職員や生徒たちとフィリピンの列聖を祝うための準備をして来ましたので、彼女についてのおおよそのことは、すでに知識として持っています。
このセントチャールズでのこれからの3日間の訪問で私が経験したかったことは、聖心会の会員と共に、フィリピンの実際に生活した場所や、様々な出来事を通して彼女の心に触れることだったのです。
 
フィリピンは、1852年にセントチャールズで帰天しました。そして、150年を経た現在でも、この街のあちこちに彼女に関したサインが残されているのです。河岸には、フィリピンについての情報が記されている案内板が立っています。この案内板には、フィリピンが建てた最初の学校の場所、聖心学院とフィリピンの祀られている聖堂への道標が示されています。
 
聖心会の経営する学校や修道院、修練院が他の場所では、大きく、しっかりとその基盤を築いていったこの時期に、フィリピンの関わっていたセントチャールズにおける学校経営は、決して成功とはいえない状況に陥っていました。
粗末な丸太小屋の「無償学校」(1818-19)は、閉校を余儀無くされました。イエズス会によって10年後に再び聖心会がセントチャールズに学校再建のために戻ってくることになった時もフィリピンは、それを他の人に任せなければなりませんでした。
 
念願のポタワトミとの生活が実現し、1年間を彼らのもとで生活したフィリピンでしたが、その時すでに高齢のため、彼らの言葉を学ぶことは難しいと悟り、健康の衰えもあって、その地での布教を断念し、セントチャールズに戻る決意をしたのでした。
フィリピンは、最後の10年を祈りの生活をしながら繕い物をしたり、祭服を縫ったりして過ごしました。このセントチャールズの街の人々は、フィリピンを控えめな、謙虚な祈りの人として、150年経った今も、心から愛し、彼女のことをセントチャールズの「並外れた女性」と呼んでいるのです。
 
作:Anne McCarthy, RSCJ,  Province of  ENGLAND-WALES
画:Linda Behrens
訳:崎川由美子
 
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